SAKURAZAWA YASUNORI.JP

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Special Column

[Drums Song #4]

2015年は篤人君と“平澤君と櫻澤君”となるセッションを自分と篤人君というツインドラムはそのままに、毎度ゲストが入れ替わりなセッションを毎月やっていた。ロア健治君がゲストだったタイミングでトリプルドラムで成り得るドラム楽曲を書いてみた。それがDrums Song #4となる。
「Sakuraさんの今迄のドラム楽曲の中で一番分かり易い曲かもしれませんね」とは、篤人君からの当時の弁。

2015年はBusker Noirを立ち上げたこともあり、このDrums Song #4はBusker Noirに於いて、4人ドラム用にアレンジして必須曲をしてあり続けた。その形は演奏する度に進化していった。2015年11月20日、五十嵐公太氏、Toshi Nagai氏、力武誠、篤人君を迎えての“暗黒秋櫻  in Busker Noir”ではこのDrums Song #4を演奏するんだけど、5人ドラム用に大幅にアレンジを変えた。4連符中の3音だけ音符にすると4種類しかないんだよね。その4種類の音符の形をそれぞれのドラマーに振り分けて、構築したのがその5人ドラム用のアレンジ。「なんだか、ちょっと複雑になっちゃいましたね…」同じく篤人君の弁。

2016年9月のBusker Noirは“ゆうや”とのサシでの公演だった。ここでもDrums Song #4をやるんだけど、2人ドラム用にアレンジ。11月には7人ドラム用にアレンジ。この7人ドラム用アレンジが篤人君的には「分かり易くなりましたね」と。

2017年1月5日に篤人君が主催するDRUM ☆ GODSでは6人ドラム用に更ブラッシュアップしたアレンジに。その3日後の1月8日のBusker Noirでは、自分とSATOち、SORAの3人ドラム用に6人用ドラムとは異なったアレンジに。コレから先もDrums Song #4はやり続けるなかで、細かくアレンジが変わっていくかもしれないけど、自分の中では一つの完成形が見えたと思っている。

そう遠くないいずれに、何かしらの形にしたいなぁっと。

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[私とaie]

aieの事に関しては、以前に書き記した事があるんだけど、結成一周年なgibkiy gibkiy gibkiyのことを振り返る体で改めて…。
aieとの初遭遇は2003年のS.O.A.P.主催ライブの名古屋公演。aieは当時deadmanのメンバーとして共演をしている。挨拶程度の会話しかしていなかったと思う。

 

aieと改めて会話をしたのは、2009年3月だったと思う。酔っぱらった共通の友人Kから、お互いに深夜の呼び出しをされた居酒屋で。それを切っ掛けに、2009年4月、aieと大佑クンとのthe studsのライブを観に行ったり、自分が呼び出してサシ呑みをしたり…。そうそう、今年解散してしまったgirugamesh主催のイベントで、ベースの愁のセッションバンドでaieと一緒だった。その時がaieと初めて音を出したことになるな。

 

余談なんだけど、aieとkazuクンのお互いにとって、大佑くんはとても大きな存在なんだなぁっと。前にも書いたんだけど、自分と大佑クンとは同じ中学、高校の先輩と後輩になる。aieとkazuクンから時々いわれるのが「○○(自分と大佑クンの母校)の教科書って他と違いますよね?」要するにaie、kazuクンの2人から見て、自分と大佑クンとの思考回路に共通項が多いとの事らしい。

 

the studsの活動が滞り、aieは色々な事をしていた。aieの弾き語りに、急遽ドラムで飛び入り参加なんてことを何度かした。自分からaieにお願いするのが、曲構成が明記してある譜面ではなく、歌詞カード。自分の中で、aieの音は「出す」ものではなく「描く」ものに感じている。自分が発する“言葉にならない言葉”に“描けない景色”を加えてくれるから、一緒に絵を描いている感覚なれるので楽しい。その絵は写実的ではなく、殴り書きに近いけどね。
aieが発する音はフレーズどうの、メロディーがどうの、リズムがどうの、コード進行がどうのとかいう些細なことはどうでもよくなる。どんな場所でもどんな形でも、お互いに思った事を奏でているので、全てが正解で不正解がないだよね。

 

aieとはTHE MADCAP LAUGHSとgibkiy gibkiy gibkiyで一緒だから、此処数年は共に過ごす時間は誰よりも多いかもしれない。バンドが違っていても、aieの音と描く絵は何も変わらない。aieには、会場に常設してあるギターアンプに、持込の2~3個のコンパクトエフェクターと白のテレキャスターがあれば、いつもの音になるなぁっと。RH時に手ぶらで来ることもあるし、去年の誕生日にはマーシャルアンプをプレゼントしたけれども、どんな場所でも、どんなときでも、はたまた機材がなんであろうとも、いつものaieの音。

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[私とkazumaクン]

25年以上前、人生で初めて行った岡崎CAM HOLEでの対バンがMerry Go Roundだった。Merry Go RoundのVocalは当然kazumaクン。当時の印象は、年齢的には自分と変わらないよなぁと思いながらも、自身の世界観と表現が徹底していて凄いなぁっと、今でも憶えている。

1993年L’Arc~en~Cielに加入した。当時からkenちゃんとの共通の会話にMerry Go Roundがあった。Merry Go Roundというより、主にkazumaクンの事だった。kenちゃん曰く、過去にkazumaクンと音を出したことがあるという事と、特に名古屋ではMerry Go Roundは凄いバンドなんだという事。

1997年L’Arc~en~Cielを脱退。ZIGZOを結成、2002年3月解散。その年の夏には、KenちゃんとEinの3人でS.O.A.P.なるバンドを結成。2003年だっけかなぁ?S.O.A.P.主催するイベント形式でのツアーの名古屋公演での対バンはMerry Go Roundとaieが在籍していたdead man。今考えると、何だか物凄い縁を感じる名古屋公演だったんだなぁっと。で、その時が自分にとって10年以上振りのMerry Go Roundだった。自分の視界には以前より、さらにエグくなっているkazumaクンがいた。

Merry Go Roundが解散したことを風の噂で知りながら、aieとTHE MADCAP LAUGHSなるバンドで活動していた。知人、友人のライブ会場などで、kazumaクンと顔を会わす事はちょくちょくあったし、THE MADCAP LAUGHSのツアーで名古屋に行くと、必ずといっていい程kazumaクンは顔を出しに来てくれていた。この時の打ち上げで盛り上がって、翌日の京都公演にkazumaクンとaieの2人でやっているhighfashionparalyzeに出演してもらう事になった。

highfashionparalyzeを初めて見たのは2014年だった。この年の9月のTHE MADCAP LAUGHSの名古屋公演でhighfashionparalyzeに加わってみた。このときがkazumaクンと初めて音を出した。ん…、それ以外でも、ひょうんな事でサシで飲む事があって、ベロベロに酔った自分の相手をしてくれてながらもセッション小屋で一緒に音を出した記憶があるのだけど、それが、この名古屋公演の前か後かは憶えていないなぁ…。
とにかく、初めて音を出し合った後に「Sakuraクン、またやろう」と。

kazumaクンとaieの2人で完成形のものに、凡庸なドラムを加えてもなぁっというのが自分の考えで、2人の会話に自分の“言葉にできない言葉”を入れたのがhighfashionparalyzeに対してのアプローチなんだけど、kazumaクン曰く「他のドラマーではなく、Sakuraクンじゃなければ、こうはならない」ともいってくれた。これを切っ掛けに、highfashionparalyze + sakura、HIGH FASHION PARALYZE、gibkiy gibkiy gibkiyへと発展していくことになるだよね。

kazumaくんとバンドをするようになってから2年も経っていないけど、昔からお互いを知っているからか、随分長い時間を共有しているように感じる。今年の1月1日にgibkiy gibkiy gibkiyを結成、アルバムを出して、全国ツアーを廻って、初のワンマンライブをやって…。あっ、因みにgibkiy gibkiy gibkiyの音源のVocal録りは全て自分がやっているので、2人きりの作業中に曲に関してのあぁでもない、こうでもないを語らう事しばしば。ツアー中もサシで飲みに行ったしね。そりゃあ、共有する時間も多くなるよなぁ。

gibkiy gibkiy gibkiyには自分がコーラスをやっている曲が何曲かある。とあるライブでkazumaクンが「呪い…」という歌詞を「愛を…」と変換して唄い出した。自分もコーラスをしているから、その変換にすぐに気が付き、思わずニヤついた。そして、その変換をkazumaクンに合わせるのではなく、自分の思うがままに変換してコーラスした。自分は「呪い…」と「愛…」とは、表裏一体なだけで「想い」という点では一緒なんだと思う。ZIGZOの高野哲が「全ての唄はラブソングである」と言っているのだけれども、その通りだと思う。kazumaクンは、今も昔もラブソングを唄い続けている。

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クリスマスイブな日に、大阪から帰宅して参りました。
12/23は大阪でドラムマンツーマンレッスンだったので。Bass On Topさんの棟をお借りしての東京・大阪でのレッスンを始めたのは今年の9月から。この日をもって2016年のBass On Topさんでのレッスンは最後となったので、このレッスンをいつも陰で支えてくれるBass On TopのY部長と2人での忘年会。あんな事、こんな事を語らい、2017年も宜しくお願いしますないいお酒。

つのだ☆ひろさんが主催するSummer Drum School、Toshi Ngaiさんが中心になって開催した宮崎・九州でのDrum Festivalというドラム合宿で、講師という肩書きを頂いて何度か参加させていただいたので、ドラムに関して講釈を垂れるのは苦手では無いのだろうと思っている。
こんな自分を成してくれたのは、つのだ☆ひろさんとご一緒させていただいた日々の影響がとても大きい。ドラマーとしての礎は、師と崇めているM師匠の影響が大きいけれど、人にドラムの奏法や音楽の概念を伝えるという講師的な礎を形成して頂いたのは、間違え無くつのだ☆ひろさんだ。

レッスンを始める様になって2年半が経過。自分のレッスンを受講生達には、一体自分はどんな講師に思われているかはさておき…。人に物事を教え伝えるという事で、受講生から教わることも多々あるなぁっと。なにせ受講生に「こうあるべき」を伝えるのに、自分がその考えと奏法と理論とを実践できなければ説得力ないからね。此処数年は物凄くドラム、音楽に向き合っているかもしれない…。まぁただでさえ、節操無く5バンドを掛け持ちしていればそうなるかもしれないけど…。

今年は12/29 gibkiy gibkiy gibkiy のライブが最後になるけれど、2017年も現役ドラマーとして、現役バンドメンバーとして、ドラムテックも時々に活動していく所存だけれども、レッスンも能動的にやっていこうかと。

新年早々のレッスンは
1/14 東京・Bass On Top 高田馬場店 http://bassontop.tokyo.jp/band/takadanobaba/
1/28 大阪・Bass On Top 天六店 http://www.bassontop.co.jp/studio_tenroku/
その他諸々のお問い合わせは http://www.sakurazawayasunori.jp

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[私とkazu君]

2016年1月1日、実はgibkiy gibkiy gibkiyの結成日にあたる。
kazuma、aie、kazu、sakuraの4人で2015年の秋頃に“HIGH FASHION PARALYZE”名義でツアーをこなしたり、音源を出したりしていた。だけど、この日を境に4人の集まりは改めて、gibkiy gibkiy gibkiyという共同体になり、お互いを更に共有し合う間柄になったと思う。

 

kazu君と初めて逢ったのは…、逢ったというか、遭遇したのは2002年の“ムック”と“蜉蝣”との対バンイベントの“ダブルドラゴン”だった。当時、ムックの制作で「ドラムの音色等をちょっとみてもらいたい」と友人のKからの依頼があった。そこでムックというバンドを知り、彼等のライブを初めてみたのがこのダブルドラゴンだった。ZIGZOの解散を発表して、最後のツアーを控えた1月だった。蜉蝣のVocalの大佑君が中学と高校の後輩だという事を知るのは、随分後の話。kazu君と蜉蝣の印象は、申し訳ないけど正直あまり憶えていない。自分より下の世代の音楽が「ふーん、こんな感じだ…」といった上から目線だったんじゃないかなぁ。
aieと知り合い、一緒にTHE MADCAP LAUGHSなるバンドをやるようになるくらいの関係になり、改めてaie絡みでkazu君と再会することになる。kazu君と初めて会話したのは、おそらく2013年の自分が主催するイベント“暗黒秋櫻”でaie率いる“the god and death stars”に出演して貰ったときだったと思う。会話といっても、自分は出演して貰っての感謝の気遣いトークとkazu君は先輩に対する気遣いトークとのコラボで、特に引っ掛かる事象がない挨拶程度だったと思う。aieを通してkazu君の事を知り、とても興味が湧いていた。

2014年にYUKIYAが主催するイベントにTHE MADCAP LAUGHSで出演させて貰って、アンコールのセッションで初めてkazu君と音を出すことになる。あくまでも私見だけれども、kazu君の音は、派手さは無いのかもだけれども、物凄い1音1音が正確で正直に奏でるのだなぁっと。かと思えば、エグイフレーズ、エグイアプローチをしかけることも、しばしば。あくまでも私見だけれども、自薦他薦で「唄うドラム」な自分としては、この手のベーシストはある意味合わせ易い。kazu君本人は大変だろうけど、特にgibkiy gibkiy gibkiyのスタイルにはとてもマッチングがいいと思っている。gibkiy gibkiy gibkiyにおいて、kazu君が楽曲の根幹を支えてくれているので、自分とaieとkazuma君は自由に奏でる事が出来ていると思っている。kazuma君とaieの2人で、high fashion paralyze。それに自分が加わる事で、high fashion paralyze + sakuraそれにkazu君が加わって、HIGH FASHION PARALYZEを経て、gibkiy gibkiy gibkiyに。kazuma君とaieでのインプロユニット的な要素が強かったhigh fashion paralyzeから、4人の主張と共和が成り立つgibkiy gibkiy gibkiy というバンド形態になった切っ掛けは、kazu君のという存在が大きい。

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“よし、ドラム上手くなってプロドラマーになろう”

と思ってスティックを真剣に握り始めて今年で30年になった。
11月20日は自分の誕生日。

[つのだ☆ひろさんがいるからの現在までのDrummer Sakura]

つのだ☆ひろさんが毎年主催しているSDS(Summer Drum School 夏に開催される合宿制のドラムスクール)に毎年ゲスト講師として呼ばれていた時期があった。ひろさんはドラム以外に打楽器に造詣が深いだけではなく、音楽そのもの、楽典、リズム理論、誰にでも叩ける奏法…、多岐に渡って造詣が深い。

L’Arc-en-Cielに加入して暫くしてから、パール楽器の担当の方から紹介していただいた。ひろさんが主催しているドラムスクールの生徒達に教えている姿を見る事で、沢山の事を学び取る事が出来た。今でも自分のドラム奏法は、ひろさんの考え方が根幹を成しているし、この考え方が無ければ、現在までのドラマーSakuraはあり得ないと思う。感謝しかないし、一生頭上がらない…。

ひろさんは今でも世界中に行かれているようで、SDSの時に訪れた国々のCDを聴かせていただいた。どのCDも音楽的にとても面白く、特にトルコでの打楽器だけの楽曲にとっても興味がそそられた。その楽曲は複数の打楽器だけでも、楽曲として口ずさめるメロディーがある。これら楽曲が、いつか自分でドラム楽曲を作曲してみようと思った切っ掛けだったと思う。

[オレカマとの遭遇]

福岡に約20年前からお世話になっている店があって、そこのマスターは凄い良いドラマーで、俺はいつもその店でセッションをさせてもらっていてね。そのマスターは顔がとても広くて、その店でポンタさんと初めてお逢いしたし、他の高名な方々とお逢いする事ができた。

15年位前かな?その店の周年イベントがあって、マスター曰く、「俺とポンタさんとSakuraの3 drumsで“オレカマ”をやりたい」と。仙波清彦さんが書いた打楽器だけで成り立つ楽曲である“オレカマ”の存在は以前から知っていたけど、実際に触れたのはその時が初めて。今思い返すと、その時の“オレカマ”は仙波師匠がタッチしていないから似非だったなぁっと。

[暗黒秋櫻とオレカマとドラム楽曲と]

2009年から、自身の誕生日に“暗黒秋櫻”という名のイベントを毎年開催している。で、2011年にはオリジナルの“オレカマ”をやりたいという思いをポンタさんに相談したら、仙波師匠を紹介してもらった。仙波さんから頂いた“オレカマ”の譜面は西洋的な譜面ではなく、邦楽で使われるもので、所謂“喋り言葉”。譜例を挙げてみると“スト天△ステスッ天ガスッ天天ノス天ガ天天 ウドン天天天 ウドン天天 ステステ”という感じ。

何のこっちゃって感じなんだけど、譜例の様に唄いながら叩くと打楽器が喋りだす。極端な考え方だけど、“オレカマ”は誰しもが唄える事を打楽器に置き換えただけなんだけど、変な概念に凝り固まっている当時の自分にはとても難しいものだった。凄い特訓した記憶がある…。
2011年11月20日はポンタさん、仙波さん、鶴谷さん、自分Sakuraの4 drumsでの“オレカマ”を演奏した。この“オレカマ”を演奏させてもらうようになったのが切っ掛けで、自分が取り組んできたドラム演奏の概念に変化が起きたと思っている。“オレカマ”が、自分でもドラム楽曲を作曲しようと強く思った切っ掛けなんだなっと。

[Drum Song #1 と Busker Noir]

篤人君は俺がいた時代からL’Arc-en-Cielが大好きなようで、彼自身はよくL’Arc-en-Cielのカバーイベントを開催している。3年前かな?篤人君から“駄目モト”で、俺にそのイベントの出演依頼が来た事が彼と知り合った切っ掛け。

その類の出演依頼は断るんだけど、彼は他に“DRUM☆GODS”というドラマーイベントを主催していて、カバーイベントを断る代わりに“DRUM☆GODS”なら出演に応じるよと。で、この“DRUM☆GODS”には自分を入れて6人のドラマーが出演するとのこと。俺は6つのドラムセットをセッティングして6 drumsで成り立つドラム楽曲を演奏するべきだと提案した。
篤人君に楽曲に取り入れたいであろうリズムパターンをピックアップして時系列にしてもらったものを元に、細かくアレンジして形にしたのがBusker Noirで演奏されているDrum Song #1になる。“DRUM☆GODS”では“DRUM☆GODSのテーマ”になっているのかな?このDrum Song #1と“DRUM☆GODSのテーマ”は元々は同じ曲だから、大枠は一緒。でも、演奏者と演奏者数の違いから細かいアレンジは異なっている。Drum Song #1は元々“DRUM☆GODS”用にまとめた楽曲なので、本来は6 drumsで成り立っている。Busker Noirでは4 drums もしくは 5 drums になるので、それ用にリアレンジしてある。
そうそう、この“DRUM☆GODS”の影響から、自分主催のドラムイベントをやりたくなったのは否定しない。Busker Noirの立ち上げようと思ったのは、先人達がやっていたドラムにスポットライトがあたるイベントに憧れがありつつ、自分流なものをやっていみたいという企みは以前からあったからで。でもいよいよ、自分流のドラムイベントをやろうと決心させてくれたのが、“DRUM☆GODS”になるだろうね。